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OUR VALUES

加賀種のこだわり

サムネイル kodawari1
品質への考え方

原料にこだわる。
対話にこだわる。
技術開発にこだわる。

Selected ingredients
Close consultation with customers
Pursuing technical development

職人の國に生まれました。

Created in a land of artisans.

古都金澤は、菓子職人の都。この地に息づく職人芸は、いまや日本の伝統芸能です。菓子種をつくるわたしたちには、その技芸を継承していく使命があります。加賀種食品工業には3つのこだわりがあります。

1つめは原料選び。全国各地の良質なもち米を試した中から、北陸でとれる「新大正もち」という品種を厳選しています。2つめは対話。お客様ととことん話し合うことで相互理解を深める。対話は信頼関係の礎であり、商いの基本姿勢であろうと考えています。最後に、3つめは独自技術。伝統的な製法を受け継ぐ一方で、現代に適した新技術の開発にも取り組んでいます。

されど、品質を機械まかせにするのではなく、「めざすべき品質」を実現する機械を自社開発して使うようにしています。3つのこだわりの中心にあるのは職人としての魂です。百三十余年の歳月を超えてもなお、わたしたちは菓子種職人としての仕事を全うします。

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原料のこと

原料5割、技術3割、
あとの2割は
つくる者の心。

50% raw materials, 30% technique,
and the remaining 20% is the creator’s spirit.

米を知りて種を極める。

Knowledge of rice leads to the ultimate monakadane.

「原料5割、技術3割、あとの2割はつくる者の心」。加賀種食品工業はそう信じています。うまい酒には良い水が要るように、種ものには良質なもち米が欠かせないのです。わたしたちは全国からさまざまな品種のもち米を取り寄せ、ひとつひとつ研究を重ねる日々を送ってきました。そしてようやく探し当てたのが北陸産の「新大正もち」でした。

独特の粘りとコシがあり、焼き上がりの風味はすばらしく、種ものにぴったりの品種です。わたしたちはつねに良質な「新大正もち」を使用できるよう、産地生産者指定で契約栽培を行っています。さらに玄米で仕入れて低温貯蔵し、そのつど精米・製粉したての生粉を使用するやり方を守りつづけています。

工程案内 / 最中種

最中種の
製造工程

The monakadane
Production Process

厳選した原材料から
最中種子は生まれる。

Carefully-selected ingredients.

100%契約栽培された、こだわりのお米から作られています。精米から、店頭に並ぶ最中種になるまでの行程をご覧ください。

工程案内 / ふやき種

ふやき種の
製造工程

The fuyakidane
production process

風味・口当たり・口溶けにまで
こだわった製法。

Our specialized production method.

麩のようなやわらかさが特徴のふやき種。製粉から焼き上がるまでの工程をご覧ください。

最中物語

最中の歴史は
平安時代から始まる。

Monaka’s history
dates back to the Heian Period.

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語源は中秋の名月にあった。

Monaka history vol.01

「最中」の名前の由来は、平安時代に編纂された後撰和歌集にある源順の歌、「水の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋のもなかなりける」にあるとされています。宮中で催された月見の宴の際、出された白く丸いお餅が、池に映し出された満月(中秋の名月)に似ていることから「最中の月」と命名されたといいます。

実際に市中に出回るようになったのは江戸中期(1800年頃)で、最初に作り出したのが吉原廓内の竹村伊勢さんというお菓子屋であったとされ、人気を博したようです。もちろん当時の最中は現在のものとはすこし違った趣のお菓子でした。もち米の粉を水で練り、蒸して薄く延ばしたものを丸く切って焼き、砂糖蜜をかけたものだったようで、いわゆる蜜掛け煎餅です。これが最中のルーツです。

ではいつ頃から、現在の最中のようにあんこが入った形態になったのでしょうか。意外にも竹村伊勢さんと同時期、日本橋にあった吉川福安さんと林屋善介さんという二軒のお菓子屋が売り出した、「最中饅頭」が始まりであったようです。いつの世も真似るだけではなく、ちょっとした工夫がヒット商品を生み出す基のようですね。なおこれらは、当時流行した川柳や今でいうガイドブックにしっかりと記述されていますので、信用できる誕生劇といえるでしょう。

時を経ても愛される最中。

Monaka history vol.02

今からおよそ80年前の大正から昭和にかけての頃、最中は大衆菓子として一大ブレイク期を迎えます。多くのお菓子屋がこぞって販売し、その地を代表する銘菓として花が咲きました。種(皮)に餡を入れれば、蒸したり、焼いたりすることなくそのままで出来上がる簡便さが作り手にとっても好都合だったのかもしれませんね。

しかしブームは長くは続きませんでした。多くのお菓子屋が販売しているとなればおのずと競争がはじまります。お菓子屋の命ともいえる餡を、古い餡などの廃物餡を代用することが多かったと聞きます。そうまでして、“他より安く”をウリにしたかったのでしょうか。結果は、売れない→売らないという構図になってしまうのは当然です。一方では、種の形のデザインが良く、餡も工夫され、地元の特産品を使うなどして、今なお高い人気を誇る最中があることを思えば、作り手のちょっとした意識の違いが悠久の時を経て、大きな違いになることが証明された良い例ですね。

とにかく甘ければ良いとされた戦後、尻尾まで餡の詰まったタイヤキの如く、たっぷりと餡が詰まった最中がもてはやされました。お菓子(嗜好品)の域を越えた、生きる糧でもあったのです。当時の苦労がしのばれます。今では、あまり大きな最中は好まれません。一口二口サイズといったところでしょうか。餡も含糖量を抑え、あっさりとしたものが多いです。戦後から70年余りでずいぶん変化しています。これから先はどう変化するのか楽しみです。

余談ですが、3歳くらいの子供が母親に、「もなか食べたい」とおねだりしたそうです。幼い我が子が和菓子に興味を持ってくれたことに喜んだ母親が、近所で評判の最中を買ってきて、子供に渡しました。ニコニコ顔でひとくち頬張った子供が言った言葉が、「お母さん、このもなか冷たくないよ」・・そうです、子供はアイスモナカを求めていたのです。実話です。本当にこんな時代がくるかもしれません。